明治〜昭和の海軍、小金井そして広島
我々が小金井に来て7年、移転当初から大変お世話になっているご近所のNさん。
『亡くなったうちのお爺さんは、元海軍で霧島の艦長をしたりしていたのよ』
という話を以前聞いた。
そこで、お知り合いで同じ小金井在住の「海軍歴史研究家」の吉田さんと共に、Nさん宅へ伺った。(吉田さんご自身も海軍で戦争に行かれていた方)
Nさんのお爺様「安村介一(やすむらすけいち)」氏は、明治2年から、昭和26年にお亡くなりになるまで海軍で活躍され、霧島の艦長などをなさったのち、小金井に居を移し、小金井の町の発展に尽くされた方。
なん百枚もの明治、大正の写真を見せていただきながら、 いろいろな解説を研究家の吉田氏からお聞きする。
偶然なのかなんなのか、
広島-小金井、がいろいろつながり、 明治〜続いた当時の広島の地の重要性を再認識。
また東京高等蚕糸学校(さんしがっこう)、今の東京農工大学にも話が及んだ。
蚕糸学校といえば、前掛けの産地・愛知県豊橋ともつながりがある。
数百枚の明治、大正の写真を見せていただきながら やはり歴史はつながっているし、 その時代の人の「顔つき」が違うことを強く感じた。
地元を代表し、海軍は5年、陸軍は2年の軍隊を経験し、地元に帰っていた、とのこと。
また、許可をもらって取らせてもらった右の1枚の写真は 清国と日本との和平締結のあと撮られたもの、とのこと。
今の時代にこれらの写真から何を感じるのか、
また大切な歴史の1ページを間近に見せていただいた。
ありがとうございました!
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明治33年 清国と、日本とで撮影された貴重な写真。
写真を見せていただいたご近所のNさんと、説明をされる吉田氏。
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