“命”を感ずる42歳誕生日
今日は42歳の誕生日。 住吉にあるWataruアートサロンに伺い、久々にWataruさんとお会いし、夕方までじっくりとお話しした。 ちょうどいま私も人生の過渡期を迎えているような気がして、このタイミングでWataruさんとお話ししたのは大きいような気がする。
Wataruさんの現在の活動、概念などを聴いた後、続いて、私の話になった。 いまの状況をいろいろとお話ししたのだが、そこでWataruさんに何度も強く問われたのは「自分の“命”はなんなのか」ということ。 それをしっかりさせておかないと、いくらアイディアやプランがあっても「うん」と「えん」が失われてしまい、実現することはできない。 そのことを問われ、私も自問した。
私の“命”とは一体なんなのか。 このところ考える時間がなかったのだが、実は考えるというよりは感ずるといった方がしっくり来るような気がしてきた。 Wataruさんから問われた時、最初はことばでなんとか表現しようと、頭の中で思考を駆け巡らせたのだが、その内、それは無駄というか、良い意味であきらめてしまい、むしろ実は自分がどこかで感じている感覚というものが大切ではないかと思い始めた。
確かに過去を振り返っても、なにか悪い予感のような、嫌な感覚がある中で、でも、人のためとか、なにかのためとか、あるいは世間体を繕うために、そういうある種低いレベルの思考で、しかも中途半端に取り組んだことは全て失敗している。
そんなことを考えていたら、なんとなくわかったような気がした。
そうか、“命”とは本当の自分と本当に向き合うこと。感ずることだと。しかも過去、現在、未来、時空を超えた自分の本質と。
◯◯のため、というのは一見聞こえはいいかもしれないが、実は自分はなにかのせいにしているのであり、依存にほかならない。 最後は◯◯のため、ではなく、自分の“命”を純粋な状態で感じ、自分で覚悟し決断することだと思う。
Wataruさんとの話しでそんな気づきがあった。
具体的には、まずはやはり物の整理、整頓をしようと思う。 これはずっとやりたくてできなかったこと。 おそらく物が整理されていけば、必然的に人生も、そして心も整理されていくような気がする。 それを今年中にやってしまいたい。
そして、自分の“命”を感じつつ、いまやるべきことを取捨選択して取り組んでいかなければならない。
大いなる気づきに満ちあふれた42歳の誕生日となった。
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2001年SISが産声を上げる前日
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