2024/03/12

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ドラゴン桜
昨日と今日、自宅で療養していたこともあり、だいぶ体調は復活した。
しかし、私の常備薬「ルルアタックEX」は喉風邪に本当に効く。
自分の体質に合っているのだろう。1日で、痛みはほとんどなくなった。
いまはもう、鼻声。まぁ、これはしばらく続きそう。

自宅で寝ながら、やることもなく、というわけで、ネトフリ三昧。笑
偏差値30台の高校から、高校を復活させるために、東大を目指す「ドラゴン桜」を一気見した。
このドラマのようすが、今年大学受験した長男のこととかぶって、思わず、感情移入しながら。
この歳になると、なんだか涙もろくなる……。


おかげさまで、長男は4月から東京で新しい生活を始めることになった。
第一志望は残念だったものの、都の西北にある名門大学に見事に受かり、進学することになった。

彼はいま引っ越し準備の真っ只中で、部屋の前には使い古された参考書や問題集が積まれている。
今日見たのはほんの一部だろうが、この時点で、私がかつて大学受験した時の10倍以上の分量を超えている。笑


思い返せば、私は中学時代、安房郡内の模擬テストで毎回1位を取り続け、鳴り物入りで高校に入学した。
一体、天津中学校から来た岡野はどんな奴なんだろう?と先生方も同級生も想像を巡らしていたらしいが、まさか、こんなふざけた奴だとは夢にも思わなかったことだろう。
先生たちはみな、岡野なら東大に行くだろう、と思っていたようで、私もその期待を常に感じてはいた。
高校1年の時は1年を通じて、学年トップを守り続けたが、高校2年の時、1位の座を譲り、2位となった。
それがある意味のきっかけとなり、私は受験勉強から逃げる道を、もっともらしい理由をつけて選んだ。
学校内の順位はみるみる下がり、60位くらいまで後退した。
授業もまともに聞かず、試験勉強も全くせず、赤点を取ったこともあった。

元来のひねくれ者で、高校1年から2年に上がる際、文系、理系を選択するのだが、理系を勧めてくる先生のアドバイスを聞いて、すぐさま文系を選択した。
高校3年の夏休み明け、運動部だった同級生がすっかり受験モードで白くなって登校する中、元々色白だった私は夏休み、友だちとキャンプに行ったり、2学期に行われる文化祭のためにビデオを制作するのに屋外で撮影したりして、すっかり真っ黒に日焼けして登校した。同級生は、岡野はもう狂ってる、と奇異な目で見ていた。

確か9月か、10月だったか、入試が迫る中で、担任と二者面談をした時、担任から「岡野はもう国立は無理だ。どうするんだ?」と言われた。皮肉なことに、それが、ひねくれ者の私にとってのやる気スイッチだった。私はすかさず「先生、東大受けますよ。」と答えた。先生は驚いた顔をしながら、「じゃあ、文1か文2か文3か?」と聞いてきた。私は畳み掛けるように「先生、なに言ってんですか。ぼくは理科受けますよ」 先生はもはやあきれ顔で「勝手にしなさい。」という感じだった。

まともに勉強もしていなかった私は、それから、文系数学の授業で一人「微分積分」の教科書を手に入れて勉強していたり、本当に、いま思えば、先生方には申し訳ないことを繰り返していた。
ただ、勉強癖がなくなっていた私は、それでも力が入らず、11月頃だったか、初めて受けたセンター試験の模擬テストでヒドい点数を取り、ようやくこりゃあかん!二次試験にも到達できない!と悟り、その帰り道に書店に立ち寄って、参考書を買い漁った。

私は幼い頃から、塾にも通わず、通信教育もやったこともなく、学校の授業と、学校の試験勉強だけをしていただけだったので、おそらく教科書以外で購入した書籍はこれらが最初で最後だったと思う。

センター試験では、模擬テストの時よりも点数をかなり伸ばして、東京大学理科2類の二次試験まで足切りラインを越えて進むことができた。

だが、世の中はそんなに甘くはなかった。
そんな数ヶ月ちょっと慌てて勉強したからと言って、東大には入れるわけはない。
二次試験では見事に撃沈し、結局、後期日程で千葉大学理学部地球科学科を受けて、進学することになった。
まぁでも、万が一、東大に受かっていたなら、私はますます調子に乗って、世の中を舐め腐った最悪な大人になっていたと思う。笑
それに、千葉大学で生涯の伴侶となる妻と出会えたから良しとするか。


長い私の話しは置いといて、対する長男は、中学時代からひたすら勉強してきた。
その量は半端ない。いつも夜遅くまで長男の部屋は明かりが灯っていた。
十代の貴重な時間をほぼ勉強に費やしてきたと言っても良いだろう。
だからこそ、私と違って、それだけ努力を積み重ねてきたのだから、良い結果を掴ませてあげたかった。

彼は高校受験の際、都内の○○大学付属という難関校を何校を受けたが、全敗であった。
その時すでに大きな挫折を味わったわけだが、彼は再び奮起して高校で、目標とする大学を早く決めて目指し続けた。

そして、今回、第一志望は残念だったものの、私学の最難関と言われる大学に見事に合格した。
努力が報われた。親として、本当にうれしいし、正直ほっとした。

私はまちづくりやら、なんやらで、日頃家を空けることが多く、殊に勉強という面において、彼にしてあげたことはほとんどない。
代わりに妻が、あれやこれや考え、彼の勉強をサポートしてくれていた。

唯一、私が関与したのは、それこそ受験に付き添いで上京し、過去問や当日受けてきた試験を共有し、わかったようなふりをして、一緒に傾向と対策を立ててみたり、試験内容を振り返ったりしたことくらいだろうか。
合格した大学の試験前日には、いまだから言えるが、長男と焼肉を食べに行って、私はビールとメガハイボール、さらに帰り道にコンビニで缶チューハイを買い込んで、前日の試験勉強をする長男の傍らでつまみ片手に飲んで、先に寝るという、なんともダメな父親を演じていた。ただ、これが返って、長男の緊張を解きほぐしていたのかもしれない。(と思っておこう)


合格者発表の日、札所番をしていると、オンラインでの発表を見た妻と長男の二人が興奮して電話をかけてきて、「お父さん、ぼく、受かっちゃったよ」と喜びの声。札所だったので、心の中で「やったー!」と私も叫んだ。
彼は合格したのが信じられなかったようで、それから数日、ドッキリかと思い、合格者発表の画面を何度も見ていて、自分の受験番号が確かにあることを確かめていたようだ。

彼が受けた学部は全て経済・経営系。
彼は経済や経営を学び、自分の故郷をなんとか活性化させたいという夢をもっている。
もうこの時点で私を遥かに超えた。
自慢の息子だ。

そして、彼の受験を支えた妻、二男、三男たちも、自慢の家族である。


彼は間違いなく証明してくれた。
努力は報われる。
そして、大学に入ることが全てではなく、大学がまたスタートであることを。

あと私が彼に教えられるのは「酒の飲み方」と「すばらしい妻との出会い方」だろうか。笑

合格、おめでとう!


[WALK:-]
はっちゃんが使っていた参考書・問題集のほんの一部だけど、この時点で私が受験の時使ってた分量の10倍はあるな。笑
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