2021/09/10

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プレーヤーズ・ファースト
Facebookにも投稿したのだが、この記事を読み、実際に音声も聞いて、私が昭和生まれな前時代的な人間のせいなのか、これがパワハラなのか、と正直疑問に思ってしまった。
このテーマはおそらく賛否両論のあるものであるが、まがいなりにもスポーツに携わる身として、勇気をもって私なりの考えを述べておきたい。

突然辞任の真相…東京ヴェルディ前監督の『パワハラ恫喝音声』! - FRIDAY DIGITAL


少なくとも、この音声だけでは私はパワハラとは思えない。

サッカー界においては日本リーグ時代から、マリノスとともに双角をなした伝統的なチーム・東京ヴェルディの永井監督が電撃辞任し、その原因がパワハラだ、と記事では報じられているが、少なくとも、この試合後に選手を叱責したものと思われるこの音声をきく限りは、私はそれを以てパワハラとは到底思えなかった。

むしろ、本来はチームのクローズドな場面である、こういう音声が流出する方が気味が悪い。
私が他のチームの監督であれば、残念ながら、当該選手を迎え入れることはないだろう。

永井監督が選手に語っていることは私は一理あると思う。
おそらくこの選手はケガ明けかケガ持ちの選手なのだろう。監督からすれば、せっかく出場させたのに、足が痛いのを理由にしてがんばれない、なにやってるんだ!というところなのだろう。
少なくとも、もし監督がその選手を信頼していなければ、期待していなければ、試合にすら出さないし、試合後に叱責することもないだろう。

サッカー選手、特にトップレベルの選手ともなれば、常に足の痛みとの戦いだ。
むしろ全く痛みなくプレーできている選手はほとんどいないと言っても良い。(もっと言えば、トップアスリートと呼ばれる選手たちは、痛みとの付き合い方をよくわかっていて、オルカのドクターも、なでしこリーグのトップ選手として経験してきた選手の多くは痛みにも強く驚かされる、とも言っていた)
中には、このチームは、ケガを押してでも出場させ、パフォーマンスが悪ければ選手を罵倒する残酷なチームなのか!と思った人もいるかもしれないが、このくらいのレベルのチームになれば、しっかりしたメディカルスタッフ、トレーナーらが帯同しているわけで、足の痛みの有無ではなく、実際のケガの状態、回復具合を診て、試合出場の可否を判断している。
また、選手ならだれでも試合に出場はしたいわけで、おそらくメディカルスタッフもGOを出し、選手本人も試合への出場を希望し、そして、監督は選手を信頼して出場させたのだと思う。

だから、監督にとっては、それなのに、足が痛いのを理由に躊躇したプレーを見せられ、試合に出たくても出られない選手たちがいる中で、これじゃだめだぞ!ということを強く伝えたかったのだろう。実際、監督自身も、長年Jリーガーとしてそういう経験をしてきたはずだからだ。
試合後の興奮もあって、語気が強くなるのも致し方ないとも思う。

正直言って、これくらいでへこたれているなら、少なくとも、スポンサーから支援を受け、サッカー選手自体でサラリーも得ている(もちろん、カテゴリー的に仕事も別にしているとは思うが)プロ選手だとすれば、監督の言うように、プロ選手は辞めた方が良いと思う。


世は「プレーヤーズ・ファースト」と連呼するけれど…

近年スポーツ界では「プレーヤーズ・ファースト」ということばがやたらと連呼されているが、今回の記事を読んで、その意味をいろいろと考えてしまった。
世で使われている「プレーヤーズ・ファースト」ということばは果たして正しいのだろうか。

↓そんな思いでググっていると良い記事を見つけた。

「プレイヤーズファースト」本当の意味は何か
誤用、乱用するスポーツ界の残念な大人たち - 東洋経済ONLINE


この記事の中でしっくり来たことばが「プレーヤーズ・フューチャー・ファースト」
つまり、選手の未来のためを考え、指導者たちが何が一番良いのかという判断を下し、導いていくということである。
これは私にとっては、とてもわかりやすい解釈である。

「プレーヤーズ・ファースト」ということばを「選手の望みを実現してあげる」だとか「選手の考えを一番にして対応する」と勘違いしてとらえている人も多いような気がするが、「プレーヤーズ・ファースト」とは「選手の言いなりになる」ことではない。
選手の夢や希望、考えを踏まえるのはもちろん大前提であるが、その上で、選手にとって何が一番本当に良いことなのか、もっと言えば、選手の未来にとって今どうするのが良いことなのか、ということを客観的な冷静な目線で判断し、導くことである。
時には叱責も必要な要素である。(もちろん暴力はNGだけど)

だから、場面によっては、選手が望む方向とは真逆なことを選手にやらせなければならない、言わなければならないことも出てくる。
逆にその勇気をもてず、嫌われたくないから、という姿勢で、「プレーヤーズ・ファースト」ということばの誤った意味の方に逃げて、選手を甘やかす、選手に迎合しているような指導者は、私から言わせれば「プレーヤーズ・ファースト」とは言えない。
むしろ、選手たちは将来苦労することになるだろう。


最後にものを言うのは「精神論」

私は安易な「精神論」を是とはしない。
むしろ多くの部活動の現場で行われてきた、「精神論」「勝利至上主義」の指導法については、私は大反対の立場で、こういった指導が横行したことが日本のスポーツ界に暗い影を落としてきている。スポーツのもつ楽しみを教えられず、生涯スポーツを続ける人が増えない(スポーツ実施率の低迷)、結果、健康寿命などの社会的問題が発生するという状況をもたらしていると思っている。

しかしながら、「精神論」が完全なる非だとも思わない。
普段の練習で、理論に基づいたフィジカルやスキルを高いを磨いた上で、拮抗した試合になった時、お互いに力の差がない場面で最後にものを言うのは「気持ち」である。

サッカーの試合で言えば、だれもがつらくなってくる試合の終盤。
そこでがんばって足を出せるか、体を張れるか、それで試合結果は変わってしまう。

2015年12月、オルカ鴨川FCがチャレンジリーグ昇格をかけて、アウェイ・熊本の地で入れ替え戦に臨んだ際、後半途中まで我々応援陣はプレーの一つ一つにバックスタンド側から声がけをしていたが、守りきれば昇格を手にできる最後の数分間はサッカーを経験してきている人たちでさえ「あと◯分だ。がんばれ。走りきれ!」と「精神論100%」の応援になっていた。
選手たちもその声が聞こえたのか、終了のホイッスルまで声を出し、がんばって相手を追いかけ、ボールを追いかけ、身体を投げ出し、守りきって昇格を決めた。
相手が1ゴールでも決めたら、オルカの昇格はならなかったのだ。

フィジカルやスキルが一朝一夕には身につかないように、こういったがんばれる精神も普段の練習、試合から積み上げていかなければ、いざという時には発揮できない。

「精神論」は確かなフィジカル、スキル、チームで言えば戦術の積み重なりの上に、最後の一押として威力を発揮するものなのである。
登山に例えて言うならば、9合目以降、疲労の中で最後の一歩を踏み出せるか、そこを押すのは「精神」であるわけだ。


選手たちの勘違い

「プレーヤーズ・ファースト」ということばが濫用されることによって、選手たちに勘違いが生まれているようにも思う。

私も数々の選手たちと出会ってきたが、多くの選手たちの視野はとても狭く感じる。
誤解を恐れず言うならば、選手たちは基本的に自分のことしか考えていない。
チームスポーツであっても、だ。
ある意味、自己本位である。

確かに平時においては、多くの選手は「チームのため」と口にする。
チームが勝つために、どうすれば良いのか、というのを一緒に考えてくれる。

しかしながら、問題は自分自身がスランプに陥った時だ。
ケガをしたり、プレーがうまくいかなかったり、そういう自分自身が窮地に追い込まれた時、あるいは他に一見いまの環境より良い環境を見つけた時、選手は結局自分のことを考え、自分優先の選択を取ろうとする。
そこには「フォア・ザ・チーム」のような考え方はもはや皆無である。

私は別にその考え方を責めるつもりはない。
選手としては至って自然な考え方だろう。
私が選手でも、そういう考えになってしまうかもしれない。

だからこそ、「プレーヤーズ・ファースト」の誤用は、選手の自己本位性をさらに助長し、チーム、あるいはスポーツ界そのものを破壊してしまうことにつながってしまう。
指導者が安易な誤った「プレーヤーズ・ファースト」に流されることなく、常に客観的で冷静な目線で、チームをマネージメントしていけるか、選手をマネージメントしていけるか、ここがとても重要なところになってくるのだ。


このコラムは、サッカーの知識もほとんどない中で、いま自分が立ち上げたビーチサッカーチームのクラブ代表を務めながら、監督も兼任している(今年は選手まで!笑)自分自身を顧みるためにも記したつもりであるが、少なくとも私は選手たちに暴力を振るったり、自分のエゴによって高圧的な指導をしようとは思わないし、するつもりもない。
ただ、チームの未来、選手たちの未来を考えた上で、時に勇気をもった振る舞いをしていなければならない、ということを再度自身として肝に銘じたい。

冒頭の永井監督は、長年ヴェルディ川崎からスタートして、さまざまなチームに所属しながら、最後はヴェルディに戻り、かつてはカズやラモスをはじめ、数々の名プレーヤーが躍動し、常に日本のサッカー界のトップに立ち続けてきたヴェルディが下位カテゴリーに低迷していくヴェルディを外からも内からも見つめて奮闘してきた、生粋の「緑の血」が流れる人である。
現役引退後、ヴェルディのユースチームの監督を経て、トップチームの監督を引き受けた際、本人も、なんとかこのヴェルディを建て直さなければならない、かつてのヴェルディを復活させなければならない、という使命感を背負い、チームをマネージメントしてきたはずだ。
そこに求めた一つに、気持ちの強さ、誇りといった要素もあったと思う。

少なくとも彼の足跡を振り返るに、自らのエゴで選手たちを罵倒するようには思えないだけに、ついつい思いを巡らせてしまった。


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地域のまちづくりの先駆である大先輩とアツく語り合った後、いただいた日本酒をさっそく一献(日記の内容とは関係がありません)
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